教育勅語は適切な配慮の下なら教材…腐ってる

菅官房よ、元田永孚の文を一言一句過たず諳んじているか

 教育勅語はについて、菅官房は、「適切な配慮のもとに、教材として用いること自体に問題は無い」と…。

 まんず、第一に、「勅語」などあってはならねぇという事だ。
 日本国憲法において、「勅語」や「詔勅」についてどう書いてあるのか菅は分からないのだろうか。

 では内容を見てみよう。
 教育勅語のスタートはどういう文言で始まるのだ。

 塚本幼稚園の園児はすらすらと一言一句間違えずに諳んじている。(私も暗唱している。というより調べて何回か読んでいるうちにいつの間にか覚えた。)

 この手の輩も、また、私の周囲の老人などにも「中身のところは問題無いと思う」という人間もいる。「どこに問題があるのだ」と質問してきた老人がいたので、懇切丁寧に説明した。

教育勅語

 私の周囲の老人たちは別として、勅語礼賛の政治屋どもは、ラマルクの用不用説が正しいなら、そいつらの脳は退化してなくなる。

 さてさて、菅などが正しいと思っているのは、この文あたりか。「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」

 特に赤の部分かもしれ無い。

 夫婦相和し、塚本幼稚園を支援し、一旦緩急あれば、前言を翻し、「しつこい奴」と公然と答弁し、ひたすらに自己保身に徹する人間たちが、およそ礼賛するような文では無いだろう。

 ある時は、神道の靖国に詣で、ある時は中国の儒教道徳による教育勅語を褒め称える。

 父母ニ孝…
 ところで、「父母に孝」とは正しいのか。
 たしかに、「身體髮膚、受之父母。不敢毀傷、孝之始也。立身行道、揚名於後世、以顯父母、孝之終也。」と言われるが。

 だが、子に言わせれば、「誰がこんな時代のこんな世に産んでくれと言ったか。」と反論も受けそうではないか。

 ここには、親が子を扶養する義務が欠落している。もっと言えば、社会が次世代を扶養するという発想も無い。

 そして以下に兄弟について友について夫婦間について述べ、学問に触れたりしながら、半封建的絶対的天皇制を維持するための明治憲法やその他の法に従えと。そして永遠に続く輝かしい皇室を助けよという文ではないか。

中教審の発想とも矛盾するぜ

 現在、中教審答申などを読めば、教育の重点は、自ら課題解決できる姿勢(自立から自律まで突き進んだ人格を持たねばこれは無理だが。)の育成だろう。ハイテク社会のもとでの競争は、人類が経験したことのない社会変化を生み出していて、そのような激変にも臨機応変に対応できる人間の育成が主眼だろう。

 そのような人材を現在の日本社会で育成することは不可能だ。これは断言できる。笑

 中教審は、激変する社会で生涯にわたって社会変化について行けと。そのために生涯にわたって学習し続けよと。
 教えたことなど、すぐに陳腐化する。だから、学校がなすべきことは、「生涯にわたって学ぶ姿勢」を育成することだと言っている。

 生涯にわたって企業利潤の実現に奉仕し、搾取に耐える人間の育成ともいえる。それで親を省みる暇があるのか。

 現に、残業100時間とかいってるぜ。帰宅後はヘロヘロで親を思う暇もなかろう。

 政府は、父母に孝は大切だと言うのだろう。これを根拠に介護を子供等に押し付け、国の補助をカットしようとしいる。

 働く人々が無限に我慢すると思っているのか。無限に我慢できるとすれば、自ら課題解決できる人間では無い。

 中教審の答申すら、安倍の教育観とは相反することになるだろう。
 自ら課題解決できる姿勢を育むには、正しい情報を提供しなければなら無い。さもなければ、正しい解決法が見つから無い。
 一方を証人喚問して、他方にはほっかむりでは、正しい解決法が見出せるのか。

 菅某くんよ、そして教育勅語礼賛の議員どもよ、意味わかるかな。正しい情報なくして課題解決などでき無いのだよ。東芝が瀕死になったのはどうしてなのか。
 あの巨大強電メーカーが瞬時に大赤字に転落したでは無いか。

 アベノミクスはもう限界どころか、日本経済を頓死させるかもしれ無い。日本資本主義がどうなろうと知ったことでは無いが。ただ、今のまま腐っていくと、どんどん働く人々にしわ寄せが来るであろう。

 やっばり、経済情勢を鑑みても退陣だろう。

 共謀罪どころではねぇぜよ。


トータル:236 本日:1 昨日:0